インターネットの登場
インターネットが公共的に使えるようになったのは1993年4月30日のこと。メッシュ(Mesh)という無料ブラウザの登場のおかげです。ティム・バーナーズ・リーという技術者が開発したこのコンピュータープログラムは、人々が公共のネットワーク上で簡単に情報交換できる場を提供することを目的に立ち上げられました。
それにともない、地理的な条件にとらわれずビジネスは世界中のより多くの人々に展開できるようになったのです。欧米で数百年間にわたって熟成されてきたカジノ産業も、そんなビジネスの1つです。
インターカジノ・ベータ版1.00の登場

オンラインカジノゲームプロバイダーのマイクロゲーミング(Microgaming)がわずかに早く登場していたものの、実際にお金を賭けることができる本格的なオンラインカジノプラットフォームとしてはインターカジノが世界初とされています。
インターカジノのマーケティング部門による声明でもオンラインでリアルマネーが賭けられる初のクライアントサーバーアプリケーションであると主張されていて、それが根拠となっています。
ただしクリプトロジック(Cryptologic)のインターカジノとほぼ同時期にマイクロゲーミングのゲーミングクラブ(Gaming Club)カジノも登場していて、どちらが先だったかは人それぞれの見解次第なのかもしれません。
どちらにしろ、両カジノともに現在のオンラインカジノ業界の礎を築いたという点に疑いの余地はありません。
オンラインカジノの歴史
オンラインカジノの歴史を紐解くには、カジノの歴史を知る必要があるので、みていきましょう。
1638年:カジノの誕生
カジノの華やかな歴史は、ベニスの貴族が社交クラブを小さな賭場に改築した1638 年にまで遡ります。このギャンブル場はイル・リドット(Il Ridotto)と名づけられ、大きな劇場の裏の控室で幕間にギャンブルを行うというものでした。
イル・リドットの成功により、その後は多くの社交クラブ、レストラン、劇場などがこれに倣うことになります。そしてこのコンセプトは大当たり。6年の間に120もの「カジノ」が開業することになります。ベニスはギャンブルの街として名を馳せることになり、イタリア語のcasa(小さな家または社交場という意味)から派生したカジノという言葉が誕生したのもこの頃です。
1774年にはギャンブルがイタリアの貴族階級の品位を損なっていると考えたカトリック教会の圧力により、カジノ・ディ・ヴェネツィア(Casino di Venezia)が閉鎖されます。それでもカジノでのギャンブル人気が衰えることはありませんでした。教会と当局によるギャンブルに対する圧力は続いたものの、カジノはベニスそしてイタリアの外へと広がっていきました。
1802年:カジノはフランスへ
ベニスで大きな成功を収めたカジノが次に席巻したのが、フランスのパリです。カジノによる税収と雇用機会の拡大にフランス政府が目をつけたのです。
フランス初のカジノは、1802年にパリに誕生したパレ・ロワイヤル(Palais Royal)でした。そしてまたたく間にパリジャンの間で大人気に。今にも続く、シングルゼロのフレンチルーレットが特に人気のゲームとして定着しました。
18世紀にはヨーロッパ中にカジノが広がっていくことに。訪問客が増えるにつれ、賞金額も上がっていくことになります。
19世紀になるとフランス、ドイツ、イタリアを中心にカジノの街が形成されるように。モナコのモンテカルロやドイツのヴィースバーデン、バーデンバーデンなどにはハイローラーや贅沢を求める客のために豪華なカジノが建設されます。実際に、これらのカジノは賭場というよりもまるで宮殿のような存在感を示すものでした。
ルーレットは18世紀にはカジノゲームとしてすっかり定着したものの、フランス人以外にとっては特に人気が高いゲームというわけではありませんでした。ドイツ人の間ではファロ(faro)と呼ばれる奇特なゲームが、スペイン人の間では「スパニッシュ21」が今も残ることからわかるとおり、ブラックジャックが人気を博しました。
1823年:カジノがアメリカに上陸
カジノが北米へ渡ったのは1820年代のことです。パリでの成功を受けて、ホテル・ドゥ・サル(Hotel de Salle)が1823年にニュージャージー州ロングブランチに米国初となるカジノを開業。真新しいカジノは有名なモナコにちなみ、モンテカルロ(Monte Carlo)カジノと名づけられました。
1820年代のうちにホテル・ドゥ・サルは裕福なヨーロッパとアメリカの観光客や大地主、貴族といったカジノの成功には不可欠な顧客層をがっちりと掴みます。ホテルのリゾート施設を満喫した後は、ルーレットやブラックジャック、ダイスなどのカジノゲームで運試し。ただしホテル・ドゥ・サルは現在は19世紀の後半には閉業することとなり、現在は残っていません。
1853年:カジノはドイツへ
話はヨーロッパに戻り、1853年に初のモダンなカジノがブラン(Blanc)兄弟によってフランクフルト郊外のバートホンブルクに開業します。実際の建築開始は1841年で、1843年まではスパエリアでカジノを運営。ブラン兄弟には30年にわたって運が左右するゲームの運営に携わるためのリースとライセンスが町議会によって与えられました。
このシュピルバンク・バートホンブルク(Spielbank Bad Homburg)が、現在のモンテカルロ、アトランティックシティー、ラスベガスなどに通じる巨大カジノの青写真を描いたとされています。ルーレット、ブラックジャック、ダイスなどゲーム別にホールが分けられ、その周りは豪華なエンターテインメント施設、パブ、劇場、レストランなどが取り囲むというスタイルです。
シュピルバンク・バートホンブルクは当初、フランス人のカジノ実業家であるフランソワ・ブランが所有していました。しかしほどなく彼の兄弟も運営に参加することに。ヨーロッパ全土からハイローラーや貴族を呼び込むために、高級で豪華なカジノを建設しました。
1931年:ラスベガスの誕生
今でこそ巨大なカジノ産業で知られるラスベガスですが、発展を遂げたのは20世紀になってからのことです。合法なカジノが初めて開業したのは、ネバダ州でギャンブルが合法化された1931年のこと。1932年にはギャンブル対象種目を拡大した上で、Las Vegasを文字ったサル・サルゲフ(Sal Salgev)に改名されました。
そもそも米国でギャンブルの人気が広まり始めたのは19世紀始めのこと。鉄道敷設労働者、カリフォルニアやソルトレイクシティーなどの鉱山労働者の間で買春や飲酒とともにエンターテインメントとして定着したのです。ワンアームドバンディット(one-armed bandit)と呼ばれるスロットマシーンが誕生したのもこの頃です。
その後ネバダ州は1910年にギャンブルを違法化。それでもバーや床屋、サルーンやレストランの地下などでのギャンブルを止めるには至りませんでした。禁酒法の時代にも、何百軒という違法カジノが米国中に広がっていたのです。
そして前述のとおり、ネバダ州が賭博禁止法を撤廃するとすぐにサル・サルゲフホテルがカジノを再開させます。その後、1955年にはゴールデン・ゲート(Golden Gate)カジノに改名。その間、1941年にはラスベガスで2番目のカジノとなるエル・ランチョ・ベガス(El Rancho Vegas)も開業しています。そしてエル・ランチョは現在のラスベガス巨大カジノホテルの原型となる、スイミングプールや乗馬施設などの豪華リゾート設備を備えたものでした。
また、エル・ランチョは現在でも有名なラスベガス・ストリップに初めてできたカジノでもあります。開業当初はブラックジャックテーブル2台にルーレットホイールが1台。残りのカジノフロアには1台のクラップステーブルと70台のスロットマシーンがあるだけでした。
1970年代:カジノは米国全土へ
1940年代から1960年代にかけて、ギャンブルはアメリカ市場を席巻します。1970年代までに、カジノは12州で130軒以上を数えるまでに。その後先住民居住区でのカジノ運営が許可されると、さらに爆発的に増えることになります。現在では特にラスベガス、アトランティックシティー、リノが米国のカジノ産業の中心地として知られるようになりました。
1994年:オンラインギャンブルの誕生

オンラインギャンブルが誕生したのは、ゲームプロバイダーのマイクロゲーミングが登場した1994年のこと。元々オンラインスロットから始まったオンラインギャンブル産業は、その後オンラインポーカー、ネットカジノ、スポーツベットへと広がっていくことになります。Evolution、Playtech、 IGTなどのゲームプロバイダーを抱えるオンラインギャンブル業界は、今や世界を股にかける数兆円規模の巨大産業に。
初のライブカジノはプレイテック(Playtech)が2003年頃にリリース。これによってインターネット上でバーチャルゲームと実際のカジノが融合されました。当初はライブルーレットだけでしたが、すぐにブラックジャック、バカラ、キノなども追加されています。
また、1994年にはアンティグア・バーブーダが自由貿易法を制定し、民間企業がオンラインギャンブルビジネスに正式に参入できるようになりました。するとマイクロゲーミングが世界初のオンラインカジノプラットフォームを世に出します。ただし、当初は決済方法が確立されていなかったため、実際にお金を賭けることはできませんでした。
しかし、ほどなくしてクリプトロジック系のカジノが1994年10月にオンライン上での現金の取引を可能にさせます。それに続き1995年にはマイクロゲーミングのゲーミングクラブでも実際に現金を賭けることができる方法が確立されました。
1996年にはカナワケ・ゲームコミッション(Kahnawake Gaming Commission)がオンラインギャンブルライセンスを発行するようになり、これによってさらに多くの運営会社がオンラインカジノ業界に参入することに。元々カナダの先住民居住区でのギャンブルを規制していたカナワケがオンラインカジノ用のライセンスも発行することになったことにより、オンラインカジノ運営会社の数は1996年の15社から翌年末には200社を数えるまでになります。
オンラインギャンブルサイトが増えるにつれ、ギャンブル対象種目も広がりを見せることに。オンラインスロットに限らず対人式のオンラインポーカーやスポーツベット、そしてより本場の臨場感が味わえるライブディーラーカジノも登場。1998年末には業界全体で8.3億ドルの収益を上げるまでになりました。
しかし反面、オンラインギャンブル業界は当時から障害にも直面し続けてきました。国や地域によってはオンラインカジノの運営自体を違法化しようとする動きがしばしば。例えば、米国では国内在住社に対するオンラインギャンブルサービスの提供を禁止するためのインターネットギャンブル禁止法案の導入が1999年に試みられました(結局、1999年時点では失敗に終わっています)。オーストラリアでは2000年5月以前に許可を受けていないオンラインカジノの運営は禁止されることとなりました。日本では2022年頃からオンラインカジノを規制しようという動きが出てきています。
障害はあれど、オンラインカジノ専業は成長を続ける一方です。2001年には利用者が800万人に。2018年には業界全体の市場規模が560.5億ドルという巨大市場を形成するに至っています。
オンラインカジノで遊べるゲーム
インターネットが世界中に広がった今、オンラインカジノの人気も高まるばかり。インターネットの接続環境さえあれば、スマートフォンを含むあらゆるデバイスでアクセスが可能。最新のオンラインカジノではバラエティーに富むゲームが楽しめてしまいます。
スロット・テーブルゲームj
カジノが胴元となる、いわゆるカジノゲームです。残念ながらハウスエッジがあるので長期的に勝ち続けるのは至難の業。代表的なゲームには以下のようなものがあります。
- ルーレット
- ブラックジャック
- バカラ
- スロット
オンラインポーカー
対人式のポーカーにも様々な種類のゲームがあります。
- テキサスホールデム
- オマハ
- 7カードスタッド
- ドローポーカー
ビンゴ
日本でもおなじみのビンゴゲームもオンラインカジノで遊べば賞金を獲得もできてしまいます。
- スピードビンゴ
- 30ボールビンゴ
- スリンゴ(ビンゴとスロットの融合)
- 90ボールビンゴ
- 75ボールビンゴ
スポーツベット
プロスポーツなら世界中のほぼ全てのものが賭け対象です。
- サッカー
- MMA
- 競馬
- モータースポーツ
- 野球
- NFL